
イスラム教と
飲食の礼儀作法
日本語訳:手食web編集部
※本ページは英語原文の和訳です。和訳に際し、イスラム教の専門家の精査は通しておりません。内容に著しい誤りや不備を見つけられた場合は、お知らせいただけますと幸いです。
はじめに
私はイスラム教徒の女性で、インドネシアのリアウ州プカンバル市で、イスラムのシャリーアIslamic sharia(イスラム法)を比較的忠実に守る家庭で育ちました。一方で、私の家族はリアウ・マレーRiau Malayの伝統や慣習の価値観も強く受け継いでいます。私たちの大家族は、結婚式や割礼のような儀式において、それがイスラム法に反しない限り、伝統に従った特定の儀式を今でも行っています。
私の理解するところでは、イスラム教は完璧な宗教です。イスラム教は、ムスリム(イスラム教徒)の日常生活のあらゆる側面を要約できるクルアーンQur’an(日本ではコーランで定着)とハディースHadithという形で人々に導きを与えています。クルアーンは、天使ガブリエルを通して直接預言者ムハンマド(彼の上に平安あれ)に啓示されたムスリムの聖典であり、ハディースは、最後の預言者としてアッラーから遣わされたムハンマド(彼の上に平安あれ)から伝えられた言行録です。彼は人間の道徳の完成を目指して遣わされました。
私たちの家族では、たとえ結婚披露宴が現代的なビルやホテルで行われ、結婚式場の提供するサービスを利用したり、現代的なコンセプトが取り入れられたりしていても、結婚式の儀式そのものは通常、一族の年長者、ウスターズUstad(イスラム教の指導者/先生)、そしてMak andamによって、より知恵と神聖さをもって執り行われます。Mak andamとは、結婚準備の手順をマレーの伝統に従って新郎新婦の両親に指導する人のことです。Mak andamは、花嫁に対しては女性、花婿に対しては男性が務めます。
甥の割礼の儀式を行うときも、これと大きくは変わりません。私は通常、マレーの習慣に従って割礼の準備に参加します。”Tepuk tepung tawar”は、これら二つの行事において重要な儀式です。マレーの伝統色である赤・黄・緑の背景幕で飾られた通路で儀式が行われます。割礼を受ける甥は、リアウ・マレーの伝統的な衣装である Teluk Belanga を着用し、Sampin(腰布)とTanjak(帽子/ヘッドバンド)も身につけます。行事が終わって数日後、甥たちは専門のクリニックに連れて行かれ、経験豊かな医師によって医療的な割礼処置を受けます。
“Indeed I was sent to perfect the glory of morality”
「まことに、私は高潔な道徳を完成させるために遣わされたのである。」
(Al-BaihaqiとAbu Hurairah Radhiyallahu’anhuによるハディース)
すべてのハディース(伝承)やニュース(言行録)は、その後、Abu Huraira、Ibn Umar、預言者の妻でもあるSayyidah Aisyah、Imam Bukhari、Imam Muslimなど、信頼のおけるイスラム学者たちによって語り伝えられ、記録されました。こうした語り伝えと記録の活動こそが、ハディースを今日に至るまでイスラム教義の中に深く根づかせているのです。
クルアーンは一度も改変されたことがなく、新しい版という概念も存在しません。
ムスリムは、クルアーンやハディースに加えて、”スンナ(SunnahまたはSunna)”と呼ばれるものも知っています。これは、預言者ムハンマドの行動やふるまいのことを指し、ムスリムが日々の生活を営む上でのもう一つの重要な指針となっています。
これら三つの教え(クルアーン、ハディース、スンナ)は、祈りや断食の方法、結婚に関する規定、商取引の規律、相続の分配といったイスラム法を実践する上での大きな問題だけでなく、より詳細な事柄——たとえば、親から子への礼儀、子から親への礼儀、ムスリム同士の付き合い方、異なる宗教の人々との関わり方、そして生活や日常の習慣、さらには飲食の礼儀作法など——にも及びます。
クルアーンには、飲食に関して明確に禁じられているもの、そして許可されているものについてのいくつかの警告が記されています。以下の箇所にそれらが見られます:
Al-Qur’an surah Al-Baqarah verse 173
アル=クルアーン第2章(アル=バカラ)第173節:

「かれ(アッラー)があなたがたに禁じたのは、死肉、血、豚の肉、そしてアッラー以外の名で屠られたものだけである。しかし、やむを得ず(それを食べる)場合で、欲望からではなく、必要な範囲を超えないのであれば、罪には問われない。まことにアッラーは、すべてを赦し、慈悲深い方である。」
Al-Qur’an surah Al-Maidah verse 90
アル=クルアーン第5章(スーラ・アル=マーイダ)第90節:

「信仰する者たちよ、確かに酩酊物/酒類(khamr)、賭博、アッラー以外の存在に捧げられた石の祭壇、占いの矢は、すべて悪魔の仕業による穢れである。それゆえ、それらを避けなさい。そうすれば、あなたがたは成功するであろう。」
私の家族は宗教的な規律をよく守っていますが、私も兄弟姉妹たちも皆、公立学校に通っていました。両親は、公立学校が終わった後に通える宗教学校にも私たちを通わせました。また、幼い頃から祈りの方法やクルアーンの読み方も教えてくれました。時が経つにつれ、両親は週に2回、自宅に教師を招いて、より正確なクルアーンの読み方を学ばせてくれるようになりました。これらはすべて、私が小学生の頃に経験したことです。
私は質素な家庭に生まれ育ちました。亡き父はかつて州知事府で公務員として働いており、母は現役の教育者、活動家、政治家でもあります。こうした職業的背景を持ちながらも、私たちの家庭にはマレー人の価値観が日常生活の中に根づいています。これらの要素が、宗教的知識、伝統、そして正規教育との間にバランスをもたらし、最終的には私たち家族の育て方のパターンとなっていきました。
ご存じのとおり、インドネシアは中東以外でありながら、世界で最も多くのムスリム人口を抱える国です。インドネシア内務省の2021年12月31日時点のデータによると、ムスリムの人口は2億3,753万人に達しており、これはインドネシアの総人口2億7,332万人の86.9%に相当します。
インドネシアには1,340以上の民族グループが存在するとされており、イスラム教は平和的な手段を通じて、ほぼすべての部族に浸透していきました。そしてイスラムは、社会に根づいた文化の概念と融合することで、より受け入れやすく、理解されやすくなりました。その結果、イスラム教は地域文化を完全に排除することなく、地域に根ざした価値として深く定着することができたのです。
リアウ・マレー社会には「ムスリムでなければマレーではない」ということわざがあります。
この言葉は、リアウ・マレー社会におけるマレー人としてのアイデンティティとイスラム教との関係の深さを物語っています。
そのため、私にとって日常生活におけるイスラムの教えを理解することは難しくありません。というのも、イスラムの教えとリアウ・マレーの伝統はすでに融合しているからです。
イスラムの教えは、人々に対して合法的で善良(thayib)な方法で生計を立てることを義務づけています。
イスラムでは、本来ハラームharam(禁じられている)なものは、それがどれほど潤沢であっても、悪をもたらすと見なされています。一方で、合法的かつ善良な手段で得た富は、たとえ少量であっても、善、健康、そして魂の清らかさをもたらします。
この警告は、
Al-Qur’an Surah Al-Baqarah verse 168
アル=クルアーン第2章(アル=バカラ)第168節に記されています:

「人々よ、大地にある合法で良いものを食べなさい。そして悪魔の足跡を追ってはならない。まことに彼は、あなたがたにとって明白な敵である。」
Al-Qur’an surah Al-Mu’minun verse 51
アル=クルアーン第23章(アル=ムウミヌーン)第51節:

「使徒たちよ、良い食べ物を食べ、正しい行いをしなさい。確かに、私はあなたがたの行うことをよく知っている。」
イスラム教では、財産に関する厳格な警告があることに加え、食べ物や飲み物がハラール(合法)かハラーム(禁じられたもの)かについても規定されています。イスラムはまた、預言者ムハンマド(彼の上に平安あれ)のスンナ(慣習)に従った、食事や飲み物の適切な手順や礼儀を規定しています。ここでは、イスラムの教えに基づく食事や飲み物の礼儀について、インドネシアおよびアジアで有名なウスターズUstadz、プロフェッサーH.アブドゥル・ソマドProf. H. Abdul Somad, Lc.,Desa., Ph.Dとのインタビューを通じて得た情報をもとに説明します。
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