ある太魯閣一族の手食 日本の植民地支配との関連 映像・取材: 余欣蘭=Rngrang, Hungul(映像作家) 中国語訳: 余欣蘭 日本語訳: 竜崎亮 タイトル・インタヴュー台本: 八幡亜樹 世界の手食 24.04.13UP 原住民台湾日本植民地化 本インタヴューは太魯閣語を中国語に翻訳したのち和訳しています. ▷撮影・編集: Rngrang, Hungul(余欣蘭) ▷インタヴュー出演: Heydi, Mijung(Rngrangの母)、Sobay, Mona(Rngrangの祖母) ※数字は映像内でのタイミング表記 01:13 你準備好了嗎? 01:13 用意はいいですか? 01:14 我好了。 01:14 いいわ。 01:16 你對於傳統太魯閣族用手吃飯,可以說明用手吃飯的情形嗎? 01:16 伝統的なタロコ族の伝統的な手食の習慣について教えてください。 01:24 我先介紹我自己的背景。 01:24 まずは私の背景から説明するわ。 01:29 我的名字叫做Heydi.Mijung,在我們太魯閣族傳統命名方式,後面是冠上父親的名字,因為我們的族群是以父系社會,所以我的名字後面接上我父親的名字。 01:29 私の名前はHeydi・Mijung、私たちタロコ族の伝統的な命名方法は、後ろに父親の名前をつける。タロコ族は父系社会だから、私の名前の後ろには父親の名前がついているの。 01:39 我從小在深山裡面長大,我們吃飯的時候,在吃飯的地方會放著很大的弧形(底)鍋,我們稱大鍋子是liwas,還有煮湯的鍋子,我們要食用的器皿(盛裝食物的物品)都很大。 01:39 私は幼い頃から山奥で育ってきた。うちでは食事をする時は、大きな丸底の鍋を置いて食べる。その大きな鍋やスープを煮る鍋を「liwas」と呼んでいるの。料理を盛り付ける食器はどれもとても大きいわ。 01:51 由於以前很窮的關係,所以器皿很少,所以我們只會使用一鍋很大的大鍋子當作我們的裝食物的器皿。 01:51 うちは元々とても貧しくて、全然食器がなかったから、食器として使うのは、大きな鍋一つだけだった。 02:02 那你有跟其他人共享一大盤(米)飯嗎? 02:02 大皿に盛られたご飯をみんなで一緒に食べるんですか? 02:07 我們全部都會聚集起來一起坐在大鍋子共享食物,全家人會一起吃飯,每一家都是這樣子。 02:07 みんなで大鍋を囲んで、家族そろって食事をしたわ。どこの家庭もそんな感じよ。 02:13 比如說? 02:13 詳しく話していただけますか? 02:14 當我們把小米煮好的時候,之後會放入野菜,全部加入在小米鍋裡面,之後我們等鍋裡的食物放涼,等食物放涼一點的時候,全家的人就會來吃飯。從年紀最大的長者開始,阿公、阿嬤,之後爸爸與媽媽,再到我們年紀最小的小孩子,等大家都聚集在一起,從家裡年紀最大的長者開始吃第一口,之後才會到我們小孩子吃飯,小孩子不可以亂抓食物,都要等年紀最大的老人家開始進食,我們才會一起共享食物。 02:14 うちではアワを煮てから、野菜を全部アワの鍋の中に入れる。そして鍋の中の料理が冷めるのを待ってから、みんなで食べるのよ。まずは家族の年長者である祖父と祖母、父と母、それから一番小さい子供の私たちの順番で食べる。家族が集まって、年長者が最初のひと口を食べてから、子供も食事を始めるの。子供がいきなり料理に手をつけてはいけなかった。家族の年長者が食べ始めてから、私たちも料理を食べることができたの。 03:13 我們太魯閣族從吃飯就同時在教導我們要懂得敬老尊賢的觀念,除了是要教育小孩,也是因為食物剛煮好會太燙,小朋友會燙到手,因為我們以前住在深山沒有醫生可以就醫,第二個要教導禮貌(餐桌的禮儀規範),要有規則,從阿公阿嬤,爸爸媽媽,最後到小孩跟小孩,就是這樣從年紀最大到年紀最小,除了年紀的順序規定,再來食物最好的部位要留給大人吃,我們傳統吃飯都是要這樣遵守。 03:13 私たちタロコ族の食事は、年長者を敬う精神を教える場でもあるの。それは子供への躾だけじゃなく、できたての料理は熱いから、子供たちが手を火傷するのを防ぐためでもあった。以前私たちが暮らしていた山奥にはお医者さんがいなかったからね。それから、礼儀(食事のマナー)を教えるため。つまり、食事にはルールが必要なの。祖父と祖母、父と母、それから子供同士……年長者から一番下にいたるまでの年功序列がある。そして、料理の一番美味しい部分は大人が食べる。これがタロコ族の伝統的な食事のマナーよ。 03:41 你有什麼食物是用手抓的吃飯? 03:41 どのような料理の時に、手で食べますか? 03:41 全部都是用手吃飯。菜、小米飯、地瓜、芋頭,我們太魯閣族以前都吃這些,這些食物都是用手吃飯的,還有一個是玉米。如果有煮湯的話,老人家會用一個很大的木頭湯匙把湯用涼,以前我們只會使用兩種食物器皿,一個是大鍋子,一個是木頭製作的大湯匙。 03:41 どんな料理でも手で使って食べるよ。野菜、アワのごはん、サツマイモ、タロイモ、タロコ族は昔はこういったものを食べていた。全部、手を使って食べてきたのさ。あと、トウモロコシもね。スープがある時は、お年寄りは大きな木のスプーンを使って冷ますんだ。昔は食器は大きな鍋と木製の大きなスプーンの2種類しかなかったんだよ。 04:26 所以除了湯之外,其他食物都是用手抓來吃飯? 04:26 つまりスープ以外は、全て手で掴んで食べていたんですか? 04:27 對。我在要拿肉的時候,也是不能隨便亂拿,我們如果今天煮了一鍋有肉湯,老人家會去拿香蕉葉,如果沒有香蕉葉其他葉子也可以代替當作盤子。當肉湯煮好,老人家就會分肉放在每個人準備好的香蕉葉子上面,之後我們就開始用手抓來吃,大家就會一起吃飯。以前要吃飯之前,我們都要把手洗好,如果沒有洗手就吃飯,老人家會生氣,他們會說手很髒不能吃飯,一定要把手洗乾淨我們才可以用手吃飯。 04:27 そうさ。肉を取る時は、勝手に取ってはいけないよ。例えば、肉のスープが出る日は、お年寄りがバナナの葉を取りに行く。バナナの葉がなければ、他の葉っぱをお皿代わりにする。肉のスープが完成したら、用意しておいた全員のバナナの葉の上にお年寄りが肉を分けてから、みんなで一緒に手で食べるのさ。食事前には、きちんと手を洗う。手を洗わずに食べると、お年寄りが怒るんだ。「汚い手で食べちゃダメだ」ってね。手をキレイに洗わないと手を使って食事はできないんだよ。 05:18 像是你旁邊的肉,你也是用手吃嗎? 05:18 そこにある肉も、手を使って食べるんですか? 05:19 這個一定要用手,這個是山羌肉和猴子肉。 05:19 これは必ず手を使わなきゃ。これはキョンとサルの肉だよ。 05:34 為什麼我說我們太魯閣族一定會用手吃呢?第一個用手的話,老人家說不會浪費食物,一丁點肉都不浪費,如果說我們要拿最裡面的部位,像是動物的頭裡面有腦隨,老人家會拿樹枝給他搓出來,除了腦隨要用樹枝,其他都是用手吃飯,我們沒有筷子。 05:34 どうして私たちタロコ族は必ず手で食べると思う? まずお年寄りが言うには、手で食べれば、食べ物を無駄にすることはない、少しの肉すらも無駄にしないんだ。例えば動物の脳みそみたいな一番奥の部分を取る時、お年寄りは木の枝を使って取り出したけど、そういう時以外は、全部手を使って食べる。私たちは箸を使わないのさ。 『分享食物』 captured by Rngrang, Hungul 05:55 所以用手吃飯是代表不浪費嗎? 05:55 手食は食べ物を無駄にしないということですか? 05:56 絕對不會浪費食物。就像是我剛剛煮好的肉,比如這邊(牙齒的碎肉)還有一點點,我就會這樣用手剝開,你看看還很新鮮,連隙縫的地方都可以用手取出來,我剛剛都有洗手了。 05:56 絶対に無駄にしない。例えば、さっき私が調理した肉。歯のこの部分にまだ少し肉が残っているけど、こうやって手で剥がすと、ほら、まだ新鮮だろう?手を使えば隙間の肉も取れる。私はさっきちゃんと手を洗ったよ。 06:03 我現在拿的這個山羌肉,我就會用手這樣剝開他的部位。 06:03 私が今持ってるキョンの肉は、手を使ってこうやって剥くんだよ。 06:44 所以是靠手跟嘴巴去吸取肉?才不會浪費食物? 06:44 手と口を使って肉を食べれば、肉は無駄にならないということですね? 06:46 對,都要靠手和嘴部的運動。 06:46 そうだよ。手と口を上手く使うのさ。 白いトングを持っているように見えるが,キョンの顎の骨についた肉片をきれいに手で剥ぎ取っている 06:52 你們會怕燙嗎? 06:52 料理が熱いのは気にならないんですか? 06:53 以前老人家不會吃很燙的食物,他們會用很大的木頭湯勺把食物從湯裡面拿起來,他們會先放著,差不多涼一點之後,才會吃。 06:53 昔の人はあまり熱いものを食べなかったね。大きな木のスプーンでスープから食べ物を取り出して、少し冷めるまでそのままにしておいてから、食べるんだ。 07:05 以前你很小的時候,看到大家用手吃飯是很平常的事情嗎?不會覺得很髒? 07:05 子供の頃、みんなが手を使って食事をしているのは普通のことでしたか?汚いと感じたことはありましたか? 07:10 沒有髒。 07:10 汚くないよ。 07:14 你會把肉放在嘴巴絞碎,在用手放入小孩的嘴裡餵食嗎? 07:14 あなたは口で肉を噛んでから、それを手に取って子供の口に入れて食べさせますか? 07:17 以前沒有奶水的時候,他們會把地瓜先放入自己的嘴巴裡面咬碎,一直到有地瓜變成黏稠狀,再餵給小孩子吃,一樣也是活到九十歲,一百多歲,像是我媽媽也是快九十歲了,他以前還是嬰兒的時候也是這樣長大的,從嘴裡的食物餵食給小孩吃。那是因為母親兩、三個月後沒有奶水的時候,會把地瓜放入自己的嘴裡混合著自己的口水變成黏稠的狀態,就餵給自己的小孩吃,就像我這樣的動作,從我的嘴巴放入小朋友的嘴巴裡。 07:17 昔は母乳が出ない時は、サツマイモを口に入れて、ドロドロになるまで噛んでから子供に食べさせてた。こうやってみんな90歳、100歳以上まで生きるんだ。私の母親ももうすぐ90歳になるけど、まだ赤ん坊だった頃は、こうやって口で噛んだ食べ物を与えられて育ってきたのさ。母親たちは2、3ヵ月経っても母乳が出ない時、サツマイモを自分の口に入れて、唾液を加えてドロドロにしてから子供に食べさせた。こんな風に口から取り出して、子供の口に入れるんだよ。 08:31 所以用手吃飯都是大家聚在一起? 08:31 食事する時はみんなで集まって食べるんですか? 08:35 全部都會一起這樣吃,(會拿自然植物的香蕉葉當作盤子,再開始用手吃飯?)對,以前我們都是這樣的。 08:35 みんなでこうやって食べるんだ。(インタビュアー:バナナの葉をとって、それを皿代わりにして、手で食べるんですか?) そう、昔はずっとそうやって食べてきたんだよ。 08:49 沒有用手吃飯,是不是受到日本殖民的影響? 08:49 手でご飯を食べなくなったのは、日本の植民地化の影響ですか? 08:58 也是這樣,那也是有一半的影響,怎麼說呢?我是聽我奶奶說過,還有我的外婆,還有很多老人家在說這個事情,我們小朋友都會在火堆旁邊聽,因為以前我們沒有文字,所以會很認真聽老人家所說的一切,記憶力要很強。從日本人來臺灣統治的時候,開始會宣導要使用碗和筷子,日本人跟我們說:「用手吃飯很髒!」他們開始會在部落裡面宣導衛生觀念,要使用筷子吃飯,可是我們太魯閣族的老人家都不習慣用筷子吃飯,我們老人家很注重乾淨,因為我們吃飯之前會把手洗乾淨,我們知道乾淨在哪一方面,我們也知道吃什麼食物手就要怎麼保持乾淨,這樣才可以吃飯。但是日本人就不一樣,其實我們的飲食文化本來就不一樣。 08:58 それも原因の半分だけど。なんて言えばいいだろうね…… 私の父方の祖母と母方の祖母、それから他のたくさんのお年寄りたちがこの事について話していて、私たち子供は焚火のそばでその話を聞いていたよ。タロコ族には文字がないから、年寄りの話を全部注意深く聞いていたし、しっかり覚えておく必要があったんだよ。 日本人が台湾を統治するためにやって来た時、彼らは茶碗と箸を使用するように指導してきた。日本人は私たちに「手で食べるのは汚い」と言ってた。彼らは部族の衛生観念を促進するために、箸を使って食事をするように言ってきたけど、私たちタロコ族のお年寄りは箸を使って食事をすることに慣れていない。 お年寄りたちは衛生にとても気を遣っていた。私たちは食事の前に手を洗っていたし、どうやって清潔に保つのか、それぞれの料理を食べる時に手をどうやってキレイにするのかもよく理解したうえで、食事をしていたのさ。でも、日本人は違う。そもそもの食文化がタロコ族とは違うんだ。 10:08 日本人會提供碗和筷子給你們使用嗎? 10:08 日本人はあなたたちにお椀や箸を提供しましたか? 10:12 日本人他們會來每一家看有沒有用手吃飯,日本人沒有提供我們筷子和碗,我聽老人家說,他們自己會去拿細的木頭或是竹子削成筷子的形狀,來代替手吃飯。 10:12 日本人は手で食べている人がいないか各家庭を見てまわった。 日本人は箸やお碗を用意してくれなかったから、手で食事をする代わりに、細い枝や竹を箸の形に削って使っていたと、お年寄りが話していたね。 10:26 如果用手吃飯,會被處罰嗎? 10:26 手で食事をすると、処罰されますか? 10:28 不會罰我們,只會用說的,督處我們不要用手吃飯,只有宣導我們,不會用暴力,只會勸導而已。如果看到日本人來,我們會趕快去找木頭來,就像是用筷子吃飯一樣。 10:28 処罰されることはなかったね。手で食事しないように言われたり注意されたりするだけだった。暴力じゃなくて、言葉で諭されるんだ。 私たちは日本人が来るのが見えたら、箸で食事してるように見えるように、急いで枝を探しに行ったよ。 10:51 有聽過為什麼日本人禁止我們用手吃飯的原因是什麼嗎? 10:51 日本人が手食を禁止した理由について聞いたことがありますか? 10:55 因為髒,用手吃飯看起來很髒,這就是為什麼我們原住民以前被人叫做「番仔」,他們叫我們「番」,從以前就是這樣稱呼我們。 10:55 汚いから。手で食べると汚く見えるからだよ。だから私たち原住民は、昔は「番仔(訳注:かつて使用された原住民への蔑称)」と呼ばれていた。昔からみんな私たちのことを「番」って呼んでたのさ。 11:03 除了說我們用手吃飯會髒和不衛生?還有什麼? 11:03 手で食べることが汚くて不衛生だと言われたこと以外に、他に何かありましたか? 11:11 對,我聽老人家說過,日本人說我們用手吃飯會很髒,日本人怎麼會知道我們的文化,我們是很乾淨的,我們要怎麼用怎麼吃的時候,那個是日本人不了解的事。我聽過老人家說日本人會使用暴力的原因,以前我們老人家在幫日本人工作,如果他看到我們原住民沒有在工作或是懶惰,日本人會家家戶戶的巡邏,被看見沒有去工作的話,日本人會把他從家裡拖出來直接打:「為什麼懶惰?為什麼沒有工作?你馬上去工作!」 11:11 そうだね、日本人は私たちが手で食事をすることを汚いと言っていたって、お年寄りたちから聞いたけど、日本人に私たちの文化の何が分かるっていうんだろうね。私たちはとても清潔だし、日本人は私たちがどのように食事をするのかも知らない。 日本人が暴力をふるう理由について、お年寄りが話していたのを聞いたことがあるんだけど、昔、タロコ族のお年寄りが日本人の下で働いていた時、日本人が私たちの家に巡回に来て、原住民が働いていなかったり、怠けていたりするのを見かけると、その原住民を家から引きずり出して殴ったそうよ。 「なぜ怠けてる?なぜ働かない? 今すぐ働け!」ってね。 12:08 日本人對於用手吃飯都是用勸導的方式來改善我們吃飯的衛生? 12:08 手食をやめさせ、食事の衛生状態を良くするために、日本人は口頭で説得しただけなんですね? 12:12 對,都是勸導而已,雖然現在大家都在用碗筷,我還是不習慣,在我們太魯閣族的文化裡面,用手吃飯吃了很乾淨,為什麼我說很乾淨的意思?因為吃東西不會掉下來,以前我們沒有很多樣的東西可以吃,所以東西很珍貴,萬一吃東西掉下來,老人家會生氣。所以用手抓著吃飯,會很乾淨也不會浪費食物,就是這樣。 12:12 そう、全部口頭での説得だった。 今はみんな箸やお碗を使っているけれど、私はやっぱりまだ慣れないね。 まず私たちのタロコ族の文化では、手で食べるのは清潔なことなの。なぜかと言うと、 食べ物がこぼれないからよ。 それに、昔は食べ物が少なくて、とても貴重だったから、こぼすとお年寄りに怒られたわ。 だから手で食べれば清潔だし、食べ物を無駄にしない、そういうことなの。 12:47 上次你提到說用手吃飯也是情感的連結? 12:47 前に、手で食べることで感情的なつながりが生まれると言っていましたよね? 12:48 對,你們試試看用手吃飯的感覺,手抓跟湯匙的差別,那種冷熱之間不一樣,比如說使用湯匙和筷子是沒有感情的,你用手吃飯試試看,有溫度,除了有溫度之外,吃任何東西進去嘴巴都會很香。 12:48 ええ、手で食事をした時の感覚で、スプーンとの違いは、冷たさや熱に対する感じ方の違いなの。スプーンや箸を使うことは感情的な行為ではないけど、手で食べるとそこに温もりがある。そして温もりだけじゃなく、何を食べてもとても美味しく感じるの。 ご飯を手のひらで優しく、俵型に握って食べる お肉と俵形のご飯 13:18 用手吃飯可以感受彼此之間的情感會更深? 13:18 手で食べると、お互いの気持ちをもっと深く理解できるということでしょうか? 13:26 對,如果我們給小朋友吃,他的飯粒掉在嘴巴附近,我會用手撫摸他的臉把他剩下在臉上的飯菜放入我的嘴巴裡面一起吃,老人家說這是彼此之間很親密的關係,這也是我們吃飯的文化。 13:26 そうそう、子供にご飯をあげる時、口の近くにご飯粒がついてたら、手で顔を触って、顔についたご飯を自分の口に入れて、一緒に食べるでしょ? お年寄りは、こういうのをとても親密な関係だと言っていた。これも私たちの食事文化なの。 14:00 用手吃有溫度,又香。 14:00 手で食べると温もりがあって、しかも美味しい。 14:20 我們老人家在用糯米的時候,也是從米飯一直反覆去搓捏,會越用越黏稠,也是代表團結的象徵。小米的話,我們會煮小米稀飯,把小米放入大鍋子裡面,煮好之後,我們會用手指從鍋子的邊緣開始吃,不能從鍋子的中間開始吃,老人家會生氣,我們會從鍋邊開始用手指頭刮下來吃,一直到吃完整鍋小米稀飯(#15:05示範用手指頭如何吃小米稀飯)。 14:20 お年寄りがもち米を調理する時は、何度も揉んだりこねたりすることで、どんどん粘り気が出てくる。そしてこれは団結の象徴でもある。 アワの場合は、アワのお粥を作るの。大きな鍋にアワを入れて、完成したら、指を使って鍋の端のほうから食べる。いきなり鍋の真ん中から食べてはいけないわ。お年寄りに怒られちゃう。鍋の端っこから指ですくって取って、鍋のアワのお粥が全部なくなるまで食べるのよ。 15:05 指でアワのお粥を掬って食べる動作を実演 15:27 我們在吃小米稀飯也不會掉下來,你看看我的手部動作,就是這樣吃,一隻手放入嘴巴裡面,另一隻手會放在嘴巴下面,如果小米不小心掉下手上,我們會這樣去舔乾淨,雙手都會使用,這樣才不會浪費食物。 15:27 こうすればアワのお粥を食べる時にこぼすことがない。 私の手の動きを見て。こうやって、片手を口の中に入れて、もう片方の手は口の下側に持ってくる。もしアワが誤って手の上に落ちても、こんな風に舐め取ればいい。食べ物を無駄にしないように両手を使って食事をするのよ。 15:45 對於過去用手吃飯,有沒有印象很深刻的回憶? 15:45 手を使って食事をしていた頃の印象的な思い出はありますか? 15:59 我覺得用手吃飯很溫暖,因為是大家會聚集在一起吃飯那是給我的回憶,我很懷念那個時候,又溫暖,大家一起吃飯的時候又互相給自己的食物,「你先吃,剩一點點的。」「你先吃,因為你是女孩子!」我們看老人家,如果他還沒吃飽就舀飯放在他的盤子上,以前就是這樣,會彼此照顧對方,真的很溫暖。 15:59 手で食べるのはとても温かかった。みんなで集まって食事をしたことが、私の思い出だし、あの頃が懐かしくて、温もりを感じるわ。みんなで一緒にご飯を食べている時に、「あなたから食べなさい、もう少ししか残ってないから 」、「女の子なんだから先に食べなさい!」とお互いに食べ物を譲り合ったものだわ。 私たちもお年寄りを見て、食べ足りてなさそうだったら、ご飯をお皿に盛ってあげた。昔はそうやってお互いに気遣い合っていて、本当に温かかった。 16:40 一直到什麼時候,你們就習慣用碗筷? 16:40 いつから食器を使うようになったのですか? 16:47 我一直都在用手吃飯,其實碗筷我都有買,我就擺著放而已,我還是習慣用手親自餵所有的孩子吃飯,我是怕小孩子會卡到食物,像是吃芋頭和地瓜很硬的食物,我都會用我的嘴巴咬碎在用手餵給你們吃。 16:47 私はずっと手で食べてきたけど、実は食器も箸も買ってあるの。ただずっと置きっぱなしにしてるけどね。私はやっぱり子どもたちには全員手で食べさせるようにしてるわ。タロイモやサツマイモみたいな硬い食べ物で、子どもたちが喉を詰まらせてしまうのが心配だから。私は口を使って細かく噛んで、それを手で食べさせるのよ。 17:47 因為我都會用手吃飯,我的孫子也是跟我一樣,在家都是用手吃飯,我會叫他們先洗手,我的孫子都會跟我說:「外婆,用手餵好好吃,我不要用湯匙。」我會把飯參入一點點鹽巴用手混合,他們很喜歡吃,全部都吃完。 17:47 私が手で食事をするものだから、孫たちも私と同じように家では手で食べるの。 孫たちに手を洗うようにいつも言ってる 。「おばあちゃん、手で食べたほうが美味しいから、スプーンは使いたくない」ってみんな言うのよ。 私がご飯に塩を少し入れて手で混ぜてあげると、孫たちはとても気に入って全部食べてしまうの。 18:17 關於手,手的活動力很快,很靈活,要是飯掉下來手會馬上接住,不會掉食物。我們吃飯也不能狼吞虎嚥,你沒有關注到所有人的話,只在乎你自己有沒有吃飽的話,也是沒有禮貌的一種表現,老人家要是看到你這樣,直接把你踢出去,為什麼呢?你不尊重食物,或者是你自私的行為,在吃的方面都可以看得出來。所以我們小時候以前吃飯的時候,會遠遠的坐,吃飯的時候不能發出聲音,慢慢的吃完。 18:17 手っていうのは、動きが早くて、とてもよく動くから、ご飯が落ちても手ですぐにキャッチすれば、床にこぼすことはないわ。食事をする時はガツガツ食べてはいけない。もし、みんなに気を配ることなく、自分が満腹かどうかしか気にしていないのなら、それはとても無礼な振る舞いよ。 お年寄りがそんな姿を見たら、きっと追い出されるでしょうね。なぜかって?食べ物を大切にしないことや、自分勝手な振る舞いは、その人の食べ方に現れるからよ。 だから私たちは子供の頃、食事をするときは互いに距離を空けて座り、音を立てずに、ゆっくりと食事をしたの。 日本植民地時代の原住民の手食文化に関する祖母へのインタビュー Sobay, Mona:日本時期殖民台灣的時候,我們太魯閣族很多的部落都被遷移下山,統一住在一起管理我們,他們會到每家每戶來看我們的衛生環境,看見我們會用手吃飯,但沒有用過暴力來懲罰我們禁止用手吃飯。日本人會用「勸導」的方式,也會教導我們筷子和碗該如何使用,然後再叫我們自己用木頭來製作碗筷。 當時日本人統治台灣有40到50年的期間,這段期間因為日本人的長期勸導和衛生觀念,我們在吃飯方式就開始用木頭做碗,也會用竹子還有木頭製作筷子,都是用自然材料來製作生活上的用品,當時日本人來部落宣導的時候,他們講的都很有道理,也不用暴力也不強制我們一定要馬上做改變,我們才會去接受他們的衛生觀念,雖然我們有了這些可以裝食物的器皿,但是我們還是不習慣,十個手指頭比較好用,因為用手吃飯很有味道,會讓食物變很香,我到現在還是會用手吃飯。 Sobay, Mona(祖母):日本が台湾を植民地化した時、私たちタロコ族の多くの集落は山の下に移住させられ、管理しやすいように一緒に暮らすことになりました。 日本人は一軒ずつ家を訪問して、私たちの衛生状態を見にきました。私たちが手で食事をしているのを見つけると、暴力で禁止するのではなく、私たちに箸やお碗の使い方を教え、そして木で箸やお碗を作るように言葉で「説得」しました。 当時、日本が台湾を統治していた40、50年の間、日本人が長期にわたって説得し、衛生観念を促進したため、私たちは食事に使うお碗を木で作るようになり、箸も竹や木で作りました。生活用品は全て自然から手に入る材料で作りました。日本人が指導のために集落を訪れた時、彼らの話は理にかなっていて、私たちに暴力を振るって強制することもなかったので、私たちも彼らの衛生観念を受け入れるようになりました。料理を盛り付ける食器があっても、私たちにとっては馴染みがなかったので、手を使う方が楽でした。手で食べると風味がよく、さらに美味しくなるので、私は今でも手を使って食事をしています。 編集部コメント 正確な数字は今のところ不明だが、Rngrangの一家に限らず、Rngrangの故郷・銅門部族の太魯閣族の年配の人は現在でも、手食を主たる手段にしている人が多いという。しかし若い世代は、衛生上の観点から、手で食べることは少なくなっているそうだ。Rngrang自身は、両親とともに山で採れたものを食べることが多いので、今でもよく手で食べているという。 本記事に登場するRngrangの一族の他にも、いまだに日本語を上手に話すことができる80代後半の、Rngrangとは別の集落の太魯閣族女性にも話を聞くことができた(*日本語での意思の疎通性は7割程度だったことを注釈しておく)。その際、その女性は、「日本人から、手食を行うことを体罰を用いて矯正された」という文脈の発言をしており、Rngrang一族のいう「説得」とは違う形での、暴力的矯正があり得たかもしれない。同時に、女性が日本の暴力について話し始めたときに、家族がそれを制止し、途端に女性が植民地時代や日本人の振る舞いを称賛し始めるという転調も起こり、植民地支配を受けた当事者が日本に忖度せずに事実を語ることが出来ているかどうかは、疑問も残る。 太魯閣族と隣接した花蓮地域に暮らすアミ族においては、50-60年ほど前までは同様に手食文化が残っており、一つの皿からご飯をシェアしたり、器の代わりに葉っぱを使用して手食をしていたという話を聞いた。また、シャーマニズムに関連する儀式での伝統的な食物は、今でも手食されるという。 新城駅あるいは花蓮駅を最寄りとする「太魯閣ビジターセンター」という観光客にむけて開かれた施設で取材を行った際には、そこで働くスタッフ全員に「現代の台湾で手食を行う人はいない。原住民でも、もういない。数十年前に手食文化は消滅した。」と、きっぱりと言い切られた。台湾に長く住む日本人の女性には、「台湾の手食文化を調べている」という行為自体を「台湾への差別的な視点」と誤解され訝しがられた。手食は人により多様な認識がなされ、ときにこういった齟齬が起こりうる。前向きな側面を取材しているつもりであっても、非常に注意深くならなければならないテーマだ。 現代の台湾では、ほとんどの人が「台湾=箸食文化」であることを疑わず、おそらくそのように主張するだろうし、マジョリティを見ればそれは間違いではない。しかし、2024年の時点でも、いまだに手食を主な手段とする人々がいるという事実を留めておくことは重要だ。特に、「太魯閣ビジターセンター」のような太魯閣族の文化を背負い世界に発信する機関においては、現代のマイノリティの中の、かすかな灯火のような手食文化のことも、しっかりと留意していただけたら幸いである。マジョリティが「知らない」「見ていない」ということによって、「消滅した文化」かのように伝聞されてしまうのはあまりにも残念だ。(特に手食文化を取材していて思うのは、料理が作られる過程まではしっかりと記録されたり記述されているが、それを「どのように食べるか」という段になると全く記録がないということも多い。文化人類学的な取材の場合は、土地の人と食を共にするので、その段階の記録が難しいという背景もあるが。) 最後に。台湾原住民の文化に、強制的な転換や継承困難という形で日本が与えてしまった暴力について、手食をこの歴史の一つの象徴とリアリティとして、ここにしっかりと書き留めておく。(八幡亜樹) プロフィール 余欣蘭 / Rngrang, Hungul 1987年生まれの台湾・太魯閣族(花蓮銅門部族)出身の映像作家。民族名はRngrang, Hungul/ルンラン・フングル(Rngrangは彼女のファーストネーム、Hungulは父親の名前)。台湾名は余欣蘭/ユー・シンラン(YU Hsin-lan)。 ルンランの作品は、長期にわたる視覚的なフィールドワークに基づき、先住民族の現代的な問題に焦点を当てている。部族の日常的な状況や親密な個人的経験を、女性の視点から創造的な要素に変換することを得意とする。現代社会における個人と伝統文化の再接続の方法や位置づけについて思索・提起を行う。
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