手食

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『手で食べる?』
再考

Text: 森枝卓士(フォトジャーナリスト)

「手で食べる?」
 そんなタイトルの写真絵本を作ったことがあります。四半世紀ほど前のことですが、有り難いことに今も現役です。小学校の(国語の)教科書にそのお話しを載せてもらったりしているもので、絵本も売れ続けているのです。まあ、珍しい切り口のお話しだということもあるのでしょうけれど。
 そもそも、なぜ、そんなタイトルの絵本を思いついたかというと……。
 小学校に入るか入らないくらいだった息子たちと、テレビを見ていたら、インドの旅モノだったか、食事のシーンでした。カレーを食べていました。そこで、
 「汚いなあ。手で食べているよ」
 息子がそんなことをいったのです。
 「いやいや。そんなことはないんだ。これはね……」
 というような会話を交わし、そういえば、これは立派な食の文化の入門編だ、文化の違いということを分かってもらえるサンプルになるに違いない。そう思ったのです。そして、子どもの本にした、というわけなのです。

『手で食べる?』表紙
『手で食べる?』 pp.6-7
『手で食べる?』 pp.24-25

  

 食べるという行為自体は、本能的な欲求の充足であります。お腹がすいたから、ナニかを食べるということですね。食べないと生きていけないから、成長できないから食べる。
 ただ、人がすることだと、そこには文化が介在します。ナニを食べ物とするのか。同じヒトという生き物であれば、基本的な消化吸収の構造は同じであるはずですが、たとえば、インドのヒンドゥー教徒にとっては牛は聖なる生き物であり、食べ物ではない。イスラム教徒にとっては、豚は汚れた生き物であり、食べるものではない。
 江戸時代までの日本人にとっても、牛や豚は食べるものではなかったということも、同じ。血が滴るようなステーキなんて、いまでは見るだけで、舌なめずりするのが普通でしょうけれども、明治維新の頃の日本人は、ほぼ、それを昔は気持ち悪がり……。それで、肉食解禁となっても、肉のかたまりを食べるようなものではなく、スパイス(それって新しいようで、慣れた漢方薬でした。ターメリックが鬱金、シナモンが肉桂といった具合ですから)の風味のソースに破片が隠れている、カレーライスのような料理からスタートしたというところがあります。
 まあ、逆に、活き作りのお刺身など、日本人だったら、新鮮だなあとうれしがるでしょうけれど、外国人によってはぴくぴく動いている魚なんて気味が悪いというような感覚もある。そう言われたことがあります。まあ、お互い様の文化の違い、です。
 そのようなわけで、「食べる食べない問題」が際限なく、存在するわけですね。文化なればこそ、です。そして、口に食べ物を運ぶ方法にしても、文化なればこそ、いろいろとあります。まずは、ラフにでも分けて考えてみましょうか。

 その一は手食。
 いうまでもなく、ここでテーマにされていることですね。手で食べ物をとって、口に運ぶ。
 もとを質せば、すべての人類が手食だったわけですね。手食以前には、多くの動物がそうであるように、あるいは赤ん坊が母親からの食べ物、母乳をもらうときにそうであるように、口で直接、食べ物に触れ、受け入れる口食とでも、いうべきものがあります。それが、多くの類人猿、あるいはリス、ラッコ等々の動物のように、手で食べるということを人類はするようになった。二本脚歩行で手が使えるということから、それ自体は自然な流れだったのでしょう。さらに、様々なパターンを生み出しているというか、違う方法も生み出しているというわけ。
 ただ、もとが皆、手食だったといっても、手食の地域では、今も昔と同じようにして食べているというわけではありません。おそらくは変遷があるはずです。詳しい事例はこの企画全体の中で、他にいっぱい触れられているでしょう。
 私自身が見聞きしたり、実際に体験した中でも、右手だけで食べて、左手は不浄の手(トイレでお尻を洗う方の手)というインドなどに顕著な例もありますね。あるいは東南アジアのラオスなど、もち米文化圏で経験したのは、そのようなこだわりがあまりないというものも。もち米を蒸したカオニャオというものを主食としているのですけれど、それを竹を編んだ容器から、ちょうど握り寿司くらいのサイズにつまみ、寿司状にまとめながら、もう片方の手で少し取り分けて、おかずをつけて食べたり。両手で食べ物に触れる場合もあれば、右手だけに限定しているというものもあるということですね。そして、その上で様々な作法も、あるわけです。

ラオス, 2012年
ラオス, 2012年

 この手食の文化圏から派生というか、現在進行形で出来ているのが、フォークとスプーンで食べるというもの。
 たとえば、タイ。片手にフォーク、もう片方にスプーンというスタイルです。これで、たとえば、目玉焼きのようなものだったら、フォークで押し付けて安定させて、スプーンの腹で切る。そして、スプーンにフォークで押して入れ、口に、というもの。ご飯やカレーもそのような感じで食べます。以前、調べたところでは、明治時代、つまり、いまから百数十年前の日本人のタイ滞在記にその記述を見つけた覚えがあります。何の資料だったかも定かじゃないのですけれど、男たちはそのようにして食べているが、女性は手食というものだったような。西洋との出会いで、もたらされたフォークやスプーンが定着したように思われたのでした。ナイフが必要な料理はないというか、そのような供し方であり、その二つだけが定着したか?
 例えば、インドでも若い層がそのようにして食べているのを十数年前から目撃したりもしています。他の東南アジアの国々でも。つまり、現在進行形でそのような変化が起こりつつあるようでも?というところです。

ミャンマー, 2013年
ミャンマー, 2013年

 そして、手食と並ぶ、もうひとつの食べ方が、箸を使うというもの。
 中国を中心とした東アジア、朝鮮半島から日本、そして、南は(東南アジアの中でも例外的に中国文化圏=漢字文化圏であった)ベトナムまで。モンゴルでは基本ではないにしろ、場合によっては、というところ。内蒙古では各個人が持っているナイフにお箸が組み込まれているようなものが使われていました。ナイフと箸のセットというわけです。
 そういえば、同じお箸文化圏といっても、かなり違いがあります。まず、日本のように属人器(各個人に属するもの。お父さんの、お母さんの、何々ちゃんのお箸という具合に、ご飯茶碗と一緒に明確化しているもの)と、後に述べるフォークやナイフの文化圏同様、誰某に属するということはなくて、同じようなものがいっぱい、セットであるという場合に分かれます。日本の方が特殊、でしょう。最近では日本でも、誰某のということがなくなっている家庭も見受けられます。大学の食文化の授業中に聞いているのですけれど、そういう家庭が増えている印象です。
 そして、そのお箸の長さもいろいろとあります。大盛の料理に箸を伸ばして、取るというような食べ方のところと、かつての銘々膳(一人一人のお膳に料理が各人のために盛ってあった)という、手を伸ばす必要がない場合で長さが違ったか。金属から竹、木、あるいは象牙等々という違いもあります。
 さらに、箸だけか、スプーンがセットになっているかという違いも。そう書いて思い出したのですが、中国雲南省のタイ系の民族のところで、主食であるもち米を蒸したものを手で食べながら、片方の手に箸を持って、おかずをそれで食べるというのもありました。そういえば、私たち、日本でだって、お握りを片手に、もう片手にお箸を持って……ということ、ないことはない、ですよね?

 さて、その箸の歴史は「殷墟の祭器としての二本箸以来、明器としての箸の出土も多いが、後漢時代には壁画にも描かれているので、中国での食事用の箸の発祥は前漢(紀元前二世紀頃)以前で、後漢(紀元後一~三世紀初頭まで)に入ると急速に普及したと考えられる」という(『ものと人間の文化史102箸(はし)』(向井由起子橋本慶子法政大学出版局)。
 日本でのそれは、同書によると「記録や出土品から推察すると中国本土よりも、数世紀遅れている」ようだが、記録は乏しいという。そして、諸々の出土品から七世紀以降に一般に普及したと思われるという。当初は朝鮮半島同様、匙とセットで使われていたようでもあるが、金属の器が一般的な朝鮮半島とは異なり、木椀のように直接、口をつけることが出来るお椀、容器の利用が一般的となったこともあって、匙の方は用いられなくなったようにも思われている。

 さて、もうひとつのメジャーな口に運ぶ方法である、フォークとナイフ、スプーンを使うというもの。
 言うまでもなく、ヨーロッパ、そして、そこから発した移民たちが築き上げた国々、アメリカやオーストラリア等々で広く用いられている食具です。ところで、これが意外と新しいのです。たとえば、安土桃山時代に日本に訪れた、ルイス・フロイスの『日欧文化比較』には、こんな記述があります。
 

「われわれはすべてのものを手を使って食べる。日本人は男も女も、子どもの時から二本の棒を用いて食べる」(6-1)

 1585年に書かれたものです。
 一応、ヨーロッパで最初に食卓でフォークを用いたのは、ビザンチン帝国の二人の王女だといわれています。十世紀の話です。そして、十一世紀にはイタリアにつたわり、ベネチアの有力者がそれで食事をしていたという記録があるようです。とはいえ、フロイスのような話でもあり、つまりは、どれだけ広まっていたかということですね。
 十六世紀には上流階級の間では一般化したとか、メディチ家の娘がフランスのアンリ二世に嫁入りした際に持参したとか言われていますが、広まるにはかなり時間を要したようです。場所によっては、あるいは階層によっては二十世紀になっても、手食が普通であったような記述もありますから。フォークとナイフ、スプーンで食事をするという方法がヨーロッパ全土の常識となったのは、十九世紀から二十世紀初頭、まあ、今から百数十年前といったところだと言えるでしょう。そのくらいの新しい常識だということですね。

ブータン, 2014年
エチオピア, 2016年

 さて。というわけで、以上のような食べ方、口に食べ物を運ぶ方法があるということですが、『手で食べる』という写真絵本を書いた時に、手食についてはこのように触れました。

 むかしはみんな手で食べていたのに、おはしやフォークを使うようになったところがある、ということは、今でも手で食べているところは、「おくれている」ということなのだろうか?
 いや、そんなことはないんだ。インド料理のミラ先生に教わったら、手で食べるのにも、いろいろなきまりがあった。手で食べる「おぎょうぎ」があった。
 そして、先生は「料理を手でも味わうのよ」と言っていた。おはしやフォークを使うように「すすんでいった」ところもあれば、手でおいしく、きれいに食べる方法を「すすめていった」ところもある、ということなんだ。

 この絵本を作ってからも、様々な場所を旅しました。手で食べるところも、それから徐々にフォークなど使うように変化しているところも。しかし、基本的に、ここに書いたような想いは変わりません。料理を目でも味わうという感覚があるように、手に触れる、その温かさなり軟らかさなりも、口の中で味覚として味わうのと同じように、あるいは前段階として味わっている、楽しんでいるということですね。そのような文化であるということ。
 かてて加えて、その後、考えるようになったこと、感じることなど、少し触れておきたいと思います。

 フランスの人類学者、クロード・レヴィストロースに、「料理の三角形」という説があります。生のもの、料理したもの(火にかけたもの)、腐ったもの(発酵したもの)という三つの点を結んだところで、料理は成立しているという話です。料理をする(火にかける)という人為的な行為に対しての腐る、発酵するという自然の変換という対立ということでもありますが、思えば、手で食べるという自然に近い行為と、箸やフォークなど道具を使って食べるという人間的な行為の対比といえなくもない、かもしれない。
 例えば、日本の神道で神饌という神に捧げる料理があります。包丁式など有名かと思いますが、要するに料理のプロセスでも食材にまったく触れず、箸で押さえたりつまんだりしつつ、包丁で切る。手で触れぬということが、ハレとケのハレのシンボリックな調理ということでしょうが。

 

包丁式, 三渓園, 日本, 2022年

 そう考えていたら、そうそう、食具、つまり箸であったり、フォークやナイフ、スプーン等々って、食物を口に運ぶ食具であると同時に、調理の道具でもありますよね。ナイフなど言わずとしれた、古代の石包丁の時代からの食材を切る道具。肉を串刺しにしたりのフォークの原形も、スプーンだって同じでしょう。料理をするということと、料理したものを口に運ぶということの何処の段階でどのような道具を使うかっていう問題?その軸がもしかしたら、文化によってはズレてきたような問題かも?
 フォークとナイフの文化圏では、ローストビーフやローストチキンのような肉の塊をそのまま食卓に出し、皆が歓声を上げたりして喜ぶなかで、ホストが切りわける。それをさらに各自がフォークとナイフで切り分けて、口に運ぶ。対して、お箸の文化圏ではお箸で食べられるような状態にキッチンで切りわけた上で、箸でつまみやすい状態にした上で、供する。だから、箸はある意味、何でも食べられる万能の道具だけれども、フォークとナイフは食べるものにみあった(魚用の、肉用の)ナイフというような分化もされる、と。
 料理の供し方という意味では、手で食べる文化圏はお箸のそれに近いか。手で食べやすいような大きさに切りわけて供することが一般的なような?

 手で食べるか道具を使うかという対立軸のような有り様も考えられるけれども、思えば、どこの文化圏にも「手で食べる」は存在しますよね。ハンバーガーだったり、サンドイッチだったり、フィンガーフードだったり。あるいはお握りや寿司やら。
 道具を使って食べるという方向に進んだ文化圏も、どこぞにそれに徹することが出來ない、自然に近い部分を全否定は出来ず、保持しているようなところもあるのではないか。そんなことを考えたりしているというところです。

 また、ゆっくり、カウンターの前で寿司をつまむなり、あるいは大自然の中に持ち込んだお弁当のお握りを手にしたりして、考えたいと思います。
 手で食べるって何だろう?

ウガンダ, 2016年
ウガンダ, 2016年

プロフィール

森枝 卓士(もりえだ たかし)

1955年熊本県水俣市生まれ。高校生の頃、アメリカの写真家、ユージン・スミスに出会い、写真家を志す。国際基督教大学卒業(文化人類学専攻)。アジアを中心に各地を取材し、食文化に関心を抱く。各地の食文化、あるいは食文化の変容等について、執筆。『カレーライスと日本人』、『食べもの記』、『手で食べる?』、『人間は料理をする生きものだ』など著書多数。早稲田大学等で食文化を講ずる。

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