一掴みの愛
日本語翻訳:松山のぞみ、八幡亜樹
※この詩は英語で書かれた原文を和訳したものです
黄金色に輝く大地に太陽が沈む頃、私たちを含むミャンマーの多くの家族は会話を中断し、如何なる作業の手も止めます。そして、うなる胃袋に導かれるように、私たちは期待に胸を膨らませながら、台所の岸に向かって行進します。やがて、私たちの母親や家政婦の手によって、温かいカレー料理と色とりどりの皿が食卓いっぱいに並びました。甘く香ばしい香りが空気を満たし、セイレーンの美しい歌の調べのように私たちをどんどん引き寄せ、ついに私たちはその流れに身をうずめました。料理から出る新鮮で熱い蒸気のゆらめきが私たちの顔を撫で、口の中は唾液でいっぱいになり、お腹はクジラの鳴き声のようにいつまでも鳴り止みません。
私たちの皿の前には新鮮なバスマティライスが盛られていましたが、「ウ・チャ」という儀式が終わるまでは何も食べられません。ミャンマーの風習で、若者たちはテーブルの上のすべての料理をすくって、先に年長者の皿に盛らなくてはなりません。私はとても幼なかったお陰で、翌年まで、少なくともスプーンを持てるようになるまでは、その風習に参加することはありませんでした。当然のこととして、その座にふさわしい兄に役割は託されました。彼はカレーや炒め物やスープを少しずつ大人の皿にすくいました。そして、最後の「ウ・チャ」の一滴を入れたところで、漁が始まりました。
祖母は熟練の漁師のように、大海原のごとく無限に広がる料理の水平線を、巧みに見渡していました。その鋭い目の端に、分厚くジューシーな豚肉の塊が、海原の真ん中の水面下で光っているのを捉えました。ステンレスのスプーンを三叉の矛のように使い、彼女は素早く海に飛び込んで、一番大きな豚肉の塊を捕らえました。そしてその塊の大きさは、祖母の私への愛の大きさに匹敵していました。彼女はその獲物と肉汁を、私の皿の中の、白い米の海底に沈めました。祖母の骨ばった指先は壊れそうにもろかったけれど、何十年もの経験を積んでおり、豚肉、肉汁、米を完璧な食感と味になるまで混ぜ合わせました。そして右手の指先だけで、完璧な状態に混ざり合ったご飯を小さな塊にして、期待に胸を膨らませ、しばらくよだれを貯めて待ち受けている4歳の孫娘の口の中にポンと放り込みました。
私は嬉しさで顔をほころばせ、祖母に微笑みかけました。いつも思い出します。祖母の手の中で生まれたご飯とカレーのごちそうは最高に美味しく、完璧だったことを。
向こう岸では、ほかの家族たちがご飯にたくさんの種類のオイルベースのカレーや野菜サラダ、炒め物、時にはスープをかけて、和えていました。味に物足りなさを感じたら、薬味を加えて、調理の過程でおろそかになった味を補います。甘いものから辛いものまで、薬味にはさまざまな葉っぱや、揚げたカリカリのエビ、野菜のピクルス、炒めた唐辛子などが並びます。
そして、色とりどりの茶碗や皿にはスプーンが添えられていますが、ご飯がよそわれたそれぞれのお皿だけは、なんの道具も添えられていません。つまりここは、私たちの手の出番、ということです。
カレーとご飯に直接触れるのは利き手の片手だけで、もう片方の手は清潔で乾いたまま、空を泳いで遠くの皿から料理をすくい取ります。私たちの利き手は、もちろん洗った後にしか使われませんが、私たちの仲間、私たちの家族、私たちの恋人のような役割を果たします。仲間がしてくれるように、私たちの手は、舌の上で踊るさまざまなスパイスのブレンドや食感を通して、必ず私たちを楽しませてくれます。私たちの家族のように、大きな愛と気遣いによって食べ物を口に運び、最も大変なときも私たちの空腹を満たしてくれます。そして私たちの恋人のように、口の中で味覚の花火が打ち上がるとき、味蕾がいつでも刺激を受けてパレードできるよう、私たちの手は努めてくれるのです。こうして、私たちの手はとても重要な役割を担っています。
手を使って料理と戯れることで、私たちは代々受け継がれてきた料理の歴史や物語を理解することもできます。柔らかいものから硬いものまで、湿ったものから乾いたものまで、冷たいものから温かいものまで、さまざまな種類のカレーの具材のひとつひとつ、骨一本一本を吟味することができます。私たちの手で食感を扱うことで、そのカレーがどのように構成され、作り出されたかを知ることができます。スーパーマーケットで食材を選ぶところから、最終的に鍋の中で混ざり合うところまで、家族の好みに合わせてソースやスパイスを変えながら、カレーがどのように構成され、作られていくのかを感じることができます。指先はコンサートマスターのようにハーモニーを奏で、私たちの内なる子供と幸福感を満たすシンフォニーを創り出すのです。
食卓の場面に戻りましょう。指先とカレーの取っ組み合いが終わると、大海原は静けさを取り戻します。大海原での壮絶な漁と取っ組み合いの後、私たちは食器を片付け、手を清めます。そしてビルマ茶で喉を潤し、暮らしを再開します。
祖母に食べさせてもらった記憶は、子供時代の最も楽しい思い出のひとつです。手で食べるという行為は喜びをもたらすだけでなく、食べ物をよりよく理解し、経験するための方法で、このように家族と特別な思い出を作るための方法でもありました。食事はただ食べるためだけの行為ではなく、ひと掴みずつ、お互いの絆を深めるためのものだったのです。
後記
2023.12.6
スパイシーなビーフカレーは、ここニューヨーク州オールバニーのビルマ料理店で購入しました。
豚肉の炒め物”cha su“は、同じくオールバニーのアジアン・スーパーマーケットで購入しました。
チンゲンサイの炒め物は自分で作りました。
昨今のミャンマーでは、手づかみで食事をする人や文化は減っていると感じます。
そんな私は、NYに暮らしているけれど、いまだに手食をしています。
プロフィール
へイティ・イ
ミャンマーのヤンゴンで生まれ育ち、9歳のときにニューヨークに移住した。幼い頃から自分のコミュニティに貢献したいと考えており、タイ、ミャンマー、米国において、教育、医療、研究などを通してビルマ難民や少数民族コミュニティに貢献するために働いてきた。ビンガムトン大学で統合神経科学の学士号を取得後、公衆衛生の修士号を取得。ニューヨーク州北部と国際部門で地域保健に携わった豊富な経験を生かし、現在はニューヨーク州の保健プログラム管理補佐官として働いている。
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コメント (1件)
食卓という大海原で手食によって全身の感覚をフルに使っての食事、他者との関係性も含めてとても楽しそうで生き生きとした情景が浮かびます。