手食

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インド手食の概観

Text: 小林真樹(アジアハンター代表)

手食はインドの食事方法の根幹であり、手食なしにインドの食事を語る事は出来ない。ただ「インドの手食」と一口に言っても、地理的・文化的にあまりにも広大なインドでは統一した一つの手食方法は見いだせない。従ってもし詳細に見ていこうとすると適宜、各地域や店、個人宅での例を出しつつ個別に見ていくほかない。

カルナータカ州マンガロールの軽食屋で手食する男性

左右の手の禁忌

よく知られている通り、インドでは右手が浄、左手が不浄とされる。従って基本的に食事は右手食によって行われる。この浄・不浄の観念は、ヒンドゥー教特有のものであり左右の手の禁忌の有無も一見、ヒンドゥー教の考え方に紐づけられるものと思いこみがちだがインドにいるヒンドゥー教以外の宗教の人々(イスラーム教徒、キリスト教徒など)もまた右手のみで食べる事を作法とする場合が多い。これはインドに限らず広くアジア~中東にかけてみられる観念で、特定の宗教発生以前から共有されていたものだと思われる。

右手のみで食べるというマナーは社会的に上位であるものほど顕著になる。とはいえ、手食する側が気にするほど、調理する側が左手右手の差異を気にしていない。インドの南北を問わず、米を炊くにも小麦粉を捏ねるにも右手一本で行う事は不可能。浄・不浄の観念に厳しいヒンドゥー寺院内でもそれは同じである。本来、左手が不浄であるなら調理過程においても使うべきではないが、そうではない点から、左右の手の禁忌が本質的に浄・不浄の観念には基づかない事を示唆している。

西ベンガル州コルカタの人力車夫. 屋台メシを手食している.

大地母神信仰に基づいた食事スタイル

テーブルとは食事や作業するための台または卓であり、イスラーム勢力や西欧諸国などによってもたらされた生活民具/家具だが、元々大地母神信仰の強いインドでは皿を直接聖なる大地に置いて食事を摂るスタイルが続いてきた。これは大地に対して土足で穢さない=裸足でいる、という行動様式にもつながるものである。

オリッサ州バランプールにあるピダー・ホテルでは床に直接座らせ, 葉皿に盛った料理を食べさせる.

今でこそ多くの大衆食堂、ファミリーレストラン、ホテルなどがひしめくインドだが、それでもインド各地の寺院にいけば直接、境内の大地ないし床に直接皿を置き、食事(手食)している姿が日常的に見られる。神像に捧げられた食事は「神様の食べ残し=プラサード」といい、集団共食する習慣がヒンドゥー教徒にはあるが、この場合(ラージャスターン州の寺院/巡礼施設などごく一部の例外を除いて)テーブルを用いる事はない。

一方で、西欧化の影響により昨今の家庭ではダイニングテーブルにイスで食事をする事が多くなった。本来、特に家庭内では床に直接ターリー(=皿)を置き、家長である父親が最初に、息子などがそれに続き、給仕役に徹する母親または妻は一番最後に食べるというのがインド古来の食べ方だったが、最近ではダイニングテーブルで、家族揃って食べる光景が一般的になった。とはいえ地方の農村など保守的な地域ではまだまだ床で食べるスタイルが見られるところもある。また特にムスリムの家庭では来客があると床にカーペットを敷き、客らと迎え入れる家族の男性メンバーらが車座になって座り、真ん中にご馳走が乗った大皿を置き、共食する光景が見られる。カシミール地方の結婚式などでも同様である(一方で北インドの都市部での結婚式における宴会は立食が多くなっている)。

マハーラーシュトラ州ムンバイで手食するムスリム男性
タミル・ナードゥ州の婚礼宴.バナナの葉に手食が基本.

インド東部、オリッサ州バランプールにあるPidha Hotel(ピダー・ホテル)は、外食店としては珍しく、葉皿を床に置いて食べさせる。客は店名ともなっているPidha(ピダー=小さな座布団状の小椅子)にあぐらをかくようにして腰かけ、葉皿の上に料理が給仕されるのを待つ。家庭や寺院などの宗教施設は別として、有料で食事をする施設で床で食べさせるスタイルはほとんど存在しない。

インドは全般的に、日本ほど些末な作法が存在せず、座り方もある程度の幅が許容される。食事中は男女問わずあぐらが最も多い姿勢だが、時に片膝を立てて食事をしたからといって何らとがめられることはない。

オリッサ州バランプールにあるピダー・ホテル. 食事時は基本的にあぐらをかく.

ちなみにインドでは伝統的に台所仕事も床に座って行われてきた。その際、特に魚などを切るための大ぶりの包丁は、床に固定し食材の方を刃にあてて裁断する。その固定のために片膝を立ててつま先で包丁の土台部を支える場合がある。

前述したようにインドでは日本ほど床/大地に対する忌避感・不浄観がなく、むしろ逆であるため、婚礼や寺院参拝などフォーマルな場であればあるほど食べものを床置きする傾向がある。

オリッサ州ブバネーシュワルの僧侶. 屋台の軽食を手食している.

皿のセッティング

大皿から個別の皿に取り分けられるのが一般的である。ただしイスラム教徒の婚礼宴の際は、大皿に盛り付けられたものを複数で囲んで食べる姿がみられる。

インドの家庭では、今も調理した鍋をそのまま床、ないしテーブルに置き、そこからめいめいが自らのターリー=皿に取り分けて食べる光景が見られる。これがインドの食事の原風景である。調理した鍋のことを、その形状によって「カラーヒー」や「ハーンディー」などと呼ぶが、現在のインドのレストランでは同様の形状をしたものを、より小ぶりにして銅や真鍮などで外側を装飾したカレー皿として使っている。今も日本国内のインドレストランで多く見かけるこれらの食器は、その源流は家庭で使われる調理器具なのである。

インド中部の街ジャグダルプル郊外の少数民族の昼食風景. 料理を入れた鍋を囲んで手食している.
マトンを調理するカラーヒー
ハーンディー

調理した鍋からそれぞれのターリーに載せる際には、インド式のレードルである「カルチー」などを用いる。飲食店の場合、ライスは幅広のしゃもじ状の器具を用い、汁物はマグカップを用いることが多い。

カルチー

手食の方法とその意義

ターリーに載せたものは全て手で食べる。基本的にターリーにライスがよそわれるや否や右手でなでるように軽くかき回す。あたかも食事に対して前戯をしているかのようにも見える。とはいえこれはこれで重要な作業である。というのもインドの安い白米の中には、同じ色をした小さな小石が混じっている事がある。必要以上にライスを右手で攪拌しているかにみえるこの動作には、この選別作業が含まれているからだ。

カルナータカ州マンガロールの軽食屋. カンジ(水がゆ)を手食しているが, 汁気が多くかなり難しい.

また実際にやってみると分かるが、例えば動物や魚などの骨から染み出る味、骨と肉との接合部位こそ最も美味しいと感じるインド人たちは、肉料理でも基本的には骨付き肉を用いる。料理はいわゆる日本人がイメージするカレーに近い形状をしたものが多いが、仮にナイフとフォーク、または箸を使ってでも食べようとするとかなり難儀をする。手で持って食べなければ骨の裏などに細かく残る肉片を食べる事などほとんど不可能である。また日本人は器用に箸を使って魚を食べるが、インド人、特に魚好きで有名なベンガル人は右手指だけで非常に器用に魚肉を骨から外す。

西ベンガル州コルカタの老舗レストラン. バナナの葉に盛られた米とおかずを手食する.

インド手食の未来

今や世界第5位の経済大国となったインド。躍進するインド経済は、現在第4位である日本をあと数年で追い抜くともいわれている。そしてその経済力の源泉の一つとなっているのがIT産業である。

格差こそあるものの、この経済効果が生み出す恩恵は着実にインド人全体の生活レベルを押し上げている。その象徴の一つがスマホである。今や低所得者層にも一人一台スマホが行き渡っている。先日、ムンバイの街を走るタクシーに乗っていた私は、ふと車窓を見て驚いた。路上生活者が熱心にスマホをいじっていたのだ。家もないのに一体、どこで充電しているのだろう?いやそれより、一般に識字率が低いといわれる路上生活者だが、スマホで読み書きが出来るのか?…などなどずいぶんと混乱させられた。

そんな状況の現代インドだから、アプリの宅配サービスはもはや日本以上に進んでいて、届いた料理もすべてスマホ決済。ひと昔前はチャイ屋で新聞を開いて悠長にチャイやビスケットの朝食をとる人々の姿が見られたが、今ではそれがスマホに置き換わっている。ただしいくらアプリの宅配サービスが乱立しているからといって、届けられる料理までもが変わったわけではない。

たとえば北インドではビリヤニ、あるいはいくつかの小袋に分けられたカレー類とローティー(パン)、南インドに行けばミールスがバナナの葉で包まれて届けられる。その包みを開いて、食べる時はやはり手食となる。もちろん食べている間じゅう、スマホで流されるクリケット試合やボリウッド映画なんかを見ての行儀の悪い「ながら手食」なのだが、いくら周辺機器が整おうがアプリが便利になろうが、手食そのものは不変である。インド人は手食のさいに右手しか使わない。不浄の左手は食事には使ってはいけないルールである。ならば空いてるその左手でスマホの操作はし放題。その意味ではむしろスマホは手食向きのガジェットであると言えなくもない。

インド人にとって手、あるいは指腹はあたかも舌の延長線上にあるかのようだ。だからスプーンなどの道具食となった場合、ある種の感覚を欠如したまま食事行為が完結してしまうことになる。それはインド人という手食者たちにとって不完全な行為にほかならない。こうしたインド人の手への信頼は、一方で信仰に結び付けられて語られがちだが、他方インド人は合理的な考えの持ち主が多く、スマホによる日常生活のショートカットは今や大いにすすんでいる。不浄の手とされる左手が食事時に空いているのならスマホいじりに使えばいい、と考えるのもその合理性の一端だ。

スマホやIT機器という文明の利器が導入されたからといって、肉眼でモノを見、耳で音を聞くという「身体性」は失われない。そういう意味で、おそらく今後どんなに時代が変遷して便利な世の中になろうとも、インド人による手食行為はその浸食されない身体性によって連綿と続いていくだろう。

軽食店でスプーンを添えられることはかなり稀. 手食が大半.

プロフィール

小林 真樹(こばやし まさき)

インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。商売を通じて国内のインド料理店と深く関わる。1990年頃からインド渡航を開始し、その後も毎年長期滞在。最大の関心事はインド亜大陸の食文化。著書に『日本の中のインド亜大陸食紀行』『日本のインド・ネパール料理店』『食べ歩くインド』がある。最新刊は『インドの台所』(作品社/2024年5月下旬刊行予定)ほか。

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