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ブータンの手食文化
及びその周辺情報

Text: 平山雄大(日本ブータン研究所代表)

南アジアに位置するブータン王国(Kingdom of Bhutan、以下ブータン)は、手食文化を現代に色濃く残す国のひとつである。手で直接食物・料理を取り口に運ぶさまは地域を問わず国内で広く見られ、それが同国の食事風景を特徴づけている。

ブータンがチベット仏教カギュ派の一宗派であるドゥク派のもとで統一され、国としての歩みをはじめたのは17世紀前半のことである。そのころにはすでに手食文化が定着していたと推察されるものの、同国の手食文化の歴史的背景を詳らかにすることは難しく、ブータン人有識者も「はるか昔からそうだった」と教えてくれるのみである。隣接するチベットやインドの影響を想像することもできるが、歴史に関する詳細は定かではない……ということを先にお断りしておく。本稿は、「映像の中に見られる手食」、「ブータン料理」、「ブータンの手食方法」と章立て、現代のブータンの手食文化及びその周辺情報についての筆者の知見をまとめるものである。

映像の中に見られる手食

英領インドのシッキム政務官を務めていたイギリス人フレデリック・ウィリアムソンが1933年及び1934年にブータン国内で撮影した映像、1958年にインドのジャワハルラール・ネルー首相(当時)がブータンを訪問した際のインド政府公式記録映像『Prime Minister Visits Bhutan』、1967年11月2日にNHKで放送された『小さな国々 第5集 ヒマラヤの秘境』、1968年1月18日にMBSで放送された『世界の日本人』「秘境に生きるブータン農業指導」、1974年6月25日放送のNHK番組『NHK特派員報告』「秘境の戴冠式 ブータン」、2012年にBS11の『ベスト・オブ・ドキュメント』において「アジアン・モナーキー 君主制の過去と未来 ブータン編」というタイトルで日本語吹替・編集版が放送された『Asia’s Monarchies』「The Magnificent History Of Bhutan’s Royal Family」、2014年に韓国教育放送公社(Korea Educational Broadcasting System: EBS)が制作した『Themes Around the World』「Bhutan, In Search of a Celestial Kingdom」、2020年に公開されたドイツの国際放送事業体ドイチェ・ヴェレ(Deutsche Welle: DW)によるドキュメンタリー『DW Documentary』「Bhutan: Change Comes to the Happy Kingdom」を一例として、そのときどきのブータンを記録した映像の中に、人々が手食をしている場面が出てくる。

日本でも2021年4月より全国の映画館で順次公開され、(惜しくも受賞には至らなかったが)第94回アカデミー賞国際長編映画賞の最終リスト5作品にも選ばれたブータン映画『ブータン 山の教室』(原題『Lunana: A Yak in the Classroom』)にも、手食の場面が複数回出てくる。首都ティンプーの自宅ではスプーンを使って友人と食事をする場面が描かれている都会っ子の主人公ウゲンが、映画の舞台である「標高4,800メートルにある秘境ルナナ村」に自動車道路の終着点から徒歩で8日かけて向かう途中の宿泊地において、またその村で村人と食事をする際は自然に手食になっているところが興味深い。

管見の限り、ブータンにおける手食が記録されている最も古い映像は、フレデリック・ウィリアムソンのフィルム・コレクションの中の、1933年に中部のブムタンで撮影されたもの(Williamson Reel No.6 / The Tibetan and Himalayan Digital Library)である。それは男性従者たちが列を作って集団で食事をとっている場面であるが、胡坐(あぐら)をかいた彼らが、「トレイ」と呼ばれる布に米を、「ポップ」と呼ばれる器(杯)に汁物のおかずを給仕してもらっている様子を確認することができる。同フィルム・コレクションに関しては、1934年に西部のハで撮影されたもの(Williamson Reel No.13 / The Tibetan and Himalayan Digital Library)の中にも手食風景が出てくる。

ネルー首相のブータン西部訪問時の公式記録映像には、ハから峠越えをしてパロを目指す道中、スプーンを使用するネルー首相らの横で、「バンチュン」と称される竹細工の食器(「バンチュ」や「ポンチュー」等とも表記される/身と蓋に分かれた弁当箱でもある)によそった米を手で食す政府高官タムシン・ジャカルらの姿が映っている。

NHKの『小さな国々 第5集 ヒマラヤの秘境』(1967年)及び『NHK特派員報告』「秘境の戴冠式 ブータン」(1974年)は、当時のパロの農民の手食の様子を鮮やかに記録している。前者の手食風景のナレーションは以下の通り(ハイライトは筆者)で、登場する農民はトレイやバンチュンに盛られた米を右手もしくは左手で一口サイズ取り、それを手のひらで握りしめ硬めの俵寿司のようにしたものを、唐辛子のチーズ煮込み「エマ・ダツィ」に浸して食している。

唐辛子のチーズ煮込み「エマ・ダツィ」

お昼になりました。農繁期ともなると、お昼はやはり野良で済ますようです。ごはんは日本でいう赤米、ちょうど赤飯のように見えます。そして今日のおかずは唐辛子がきいたシチューのようなものです。箸は使いません。ごはんを握り寿司のように握り、おかずの汁につけて食べるわけです。牛やヤクの肉、またその乳から作るバターやチーズもブータンの人々の大好物だそうです。食事が終わるとお茶を一杯。まさに、日本の農村を思わせる田園風景です。

後者はとある農家の炊事と、農作業を手伝いに来た人々の屋外での昼食の様子である。撮影に照れつつ……であろうか、カメラ目線で笑顔を絶やさず食事をする女性の姿が印象的である。ナレーションは以下の通りで、20人以上の集団での食事風景を映しながら、ブータンの労働事情の一端を伝えている。

炊事するのは、以前日本の農村で見られたのと同じかまど。ごはんは日本でいう赤米です。(中略)手伝いの人たちの食事は外で振舞われます。食事は、ごはんの他、牛やヤクの干し肉、チーズ、野菜等ですが、日当の他に3食と2回のおやつを合わせて1日500~600円相当にならないと、次の年から手伝いに来てもらえないといいます。人口の少ないブータンでは、農業だけではなく、一般に労働力が不足気味なのです。足りない労働力を補うように、ネパールやチベットから出稼ぎ労働者が大勢入り込んでいます。彼らはブータンの下層労働者として、ブータン人より低い賃金で働いています。

1964年からブータンで農業指導を行っていた西岡京治氏及び里子夫人を追ったMBSの『世界の日本人』「秘境に生きるブータン農業指導」(1968年)には、食事前に米を少量(一つまみ)手に取り、後方に向かってパッと放る仕草が収められている。これは自身の周りの精霊や神への一種のお供えで、食べものだけでなく飲みものでも行う「チェシェ」と称される所作である。食事前のより深く長い祈りとしては「トムチェ」と呼ばれるものがある―トムチェに関しては、『Asia’s Monarchies』「The Magnificent History Of Bhutan’s Royal Family」に、西部プナカに位置する僧院学校の生徒が行う場面が収録されている―が、チェシェはその簡易版と言えるものである。この場面には以下のナレーション(ハイライトは筆者)が付されている。

赤みがかったぽろぽろの細長い米。握りしめ、握りしめを繰り返しているうちに粘りが出て、団子のようになります。バターを混ぜ、干したサフランの雄しべで炊いた香りの高いごはんです。おかずは牛、羊、豚の干し肉を煮たもの。お茶はバターを溶かして塩で味付けをした独特の風味あるものです。空を飛ぶもの、水に棲むものは神の使いとして一切食べません。だから家畜である牛や豚、それに羊、山で捕らえる獣を干したものが副食物です。たんぱく質は日本より豊かでしたが、西岡さんの手で野菜が加わり、食生活の幅が大きく広がりました。

現在の手食風景は、基本的にはこれらの映像に残されている約50~90年前のそれと何ら変わらない。もちろん近代化に伴いスプーンやフォークといった食具を使った食事の様子は町中のレストランや高校・大学構内の学生食堂等では普通に見られ、家での食事であっても食具を使用しているというケースもある。食具を使用したほうが文明的だ(手食は野蛮だ)と考える若者や、食具使用に慣れているため手食は苦手だ―子どもへの手食の教育というのは改まった場ではなされておらず、基本的には家庭で自然に覚えるものである―という子どもも一定数いる。筆者のブータン人の知り合いの多くは、映画『ブータン 山の教室』の主人公ウゲンのように、時と場合によって、つまりTPOに応じて手食と食具利用を使い分けている。

また、その科学的根拠は定かではないが、「金属の食具を使うとごはんの味が変わるから、手食のほうがごはんの持つ本来の味を楽しむことができる」、「手食のほうが食具を使うよりも確実に美味しい」といった意見がある一方で、「食具を使ったほうが清潔である」という意見もある。新型コロナウイルスの流行やスマートフォン等のタッチパネル操作が手食に影響を及ぼしているといった話は、少なくとも筆者は聞いたことがない。

ちなみに、インド政府公式記録映像『Prime Minister Visits Bhutan』においては上記とは別の場面で、第3代国王ジグメ・ドルジ・ワンチュクや同王妃ケサン・チョデン・ワンチュク、第2代国王妃ペマ・デチェン・ワンチュク、ジグメ・パルデン・ドルジ首相(当時)らが食具を使って食事をする様子が出てくる。また『NHK特派員報告』には、首都ティンプーに新しくできたというレストランで、(フォークではなく)スプーンを使って中国風焼きそばチョウメンをたどたどしく食べる人々も登場する。これらは、ブータンにおける食具を使った食事スタイルの黎明と言えそうである。

ブータン料理

ブータンの人々の主食は米であり、大量のごはんを少量のおかずでかき込む……というのが食事の基本形となっている。国産の米は主に丸くて短いジャポニカ米で、赤米と白米が存在する。また隣国インドにて生産されるインディカ米の白米も国内に広く流通している。主に東部では、とうもろこしの粉と白米を混ぜて一緒に炊いたごはんもよく食べられている。調理法は、日本で一般的な炊き出し法(使う米の量に適した量の水を使い、米がすべての水分を吸い上げるまで火にかける)ではなく湯取り法(大量の熱湯の中に米を投入し火を通した後、茹で汁を捨てて蒸らす)が広く用いられている。米の粘り気が少ないため、手食の際も米が手のひらにベタベタと貼りつくことはない。

市場で売られている赤米

例えば中部のブムタンや西部のハ等、標高が高く稲作をすることができなかった高地では伝統的にソバ栽培が行われてきたため、ブータンは蕎麦料理の文化も有する。蕎麦粉を使った麺料理「プタ」(そばつゆはなく、油そばのように油やバターで混ぜて食べる)、蕎麦粉のパンケーキ「クレ」、蕎麦がき「ディンゴ」、蕎麦粉の皮を使用する餃子「ヒュンテ」等がその代表例で、それらも総じて手で食すものである。また、モモ(餃子)やトゥクパ(麺)といったチベット料理や、カレーやダル(豆スープ)といったインド・ネパール料理もよく食されている。特に、「ローツァンパ」と称されるネパール系住民が多く居住する南部地域はカレー文化圏と言っても良いかもしれない。

蕎麦粉を使った麺料理「プタ」
 
蕎麦粉のパンケーキ「クレ」

ブータンを代表する料理として常に挙げられるエマ・ダツィ(「エマ」は唐辛子、「ダツィ」はチーズを指す)をはじめ、ブータン料理には豊富な野菜や乳製品を使った煮込み料理が多い。日本とは違い唐辛子は香辛料ではなく野菜として使われており、その販売量・消費量の多さから市場ではかなり目立つ存在となっている。ブータンに唐辛子がいつ伝わったのかは、手食文化がいつ定着したのかと同様に定かではないが、現在唐辛子が「ブータンで最も愛されている野菜」となっていることは確かである。乳製品の代表格はチーズで、その種類や加工方法は多岐に渡る。近年は仏教思想や健康志向の影響でベジタリアンが増えているが、肉を使った料理も多い。野菜も肉も干して貯蔵することが多く、この乾物活用もブータンの食文化の特徴となっている。

ブータン産の唐辛子

チーズや唐辛子の有無に関わらず、野菜をメインとした煮込み料理は「ツェム」と総称される。チーズ煮込みは種類が豊富で、具材は唐辛子を基本形として、じゃがいも、きのこ、ぜんまい、なす、カリフラワー、アスパラガス等さまざまである。一方、肉をメインとした煮込み料理は「パー」と総称され、主に来客があるときや祝い事の際に提供されるご馳走である。豚肉と唐辛子の煮込み「パクシャ・パー」(「パクシャ」は豚肉、「パー」は塊を指す)、豚の干し肉と唐辛子の煮込み「シカム・パー」、牛肉と唐辛子の煮込み「ノシャ・パー」、牛の干し肉と唐辛子の煮込み「シャカム・パー」等がある。

お茶に関しては、バター茶「スジャ」(磚茶と呼ばれる固形のお茶を削って煮立て、バターと塩を入れて攪拌したもの)と甘いミルクティー「ンガジャ」がメジャーである。後者に関しては隣国インドの影響であろうか、この30年ほどの間にブータン国内で一気に普及・浸透したようである。お茶請けには精米を炒った「ザウ」、籾がついた米を潰して炒った「シップ」、とうもろこしを潰して炒った「ゲザ・シップ」等があり、直接そのまま、もしくはお茶の中に入れふやかして食す。

お酒の種類は豊富で、穀物に麹を混ぜて作る「チャン」やそれを蒸留した「アラ」といった地酒がある。加えて、ビール、ウイスキー、ワイン、ジン・ライム、ブランデー、ウォッカ、ラム、リキュール等が国内で製造・販売されている。

豚の干し肉と唐辛子の煮込み「シカム・パー」

ブータンの手食方法

隣国インド等と違い、ブータンでは左右の手の禁忌というものは特にないようである。手食の際は右利きの人は右手を、左手の人は左手を主に使い、必要に応じて逆の手も自由に使用する。

家族の食事の基本形は「床に車座」である。座る姿勢は男女ともに胡坐―ブータンの民族衣装であるゴ(男性用)とキラ(女性用)どちらでも容易にできるスタイルで、同国の正式な座りかたとなっている―で、片膝を立てたり膝を伸ばして座るのはマナー違反である。料理作りを取り仕切る者(たいていは家長やその娘)がその車座の中心に座り、食具を用いて大皿から各自の皿に取り分ける。中心に座る者は「ナンゲアム」と称され、料理を取り分ける順番は基本的に年上の男性からである。

車座の中心に座るナンゲアム

料理が盛られた皿は床に直接置き、テーブルやお膳は用いない。料理は米(地域によっては米の代わりにクレ等の蕎麦料理の場合もある)とエマ・ダツィをはじめとした野菜をメインとした煮込み料理ツェム1~2品、特別な日にはそれに加えて肉をメインとした煮込み料理パー1品という感じであろうか。食器は、伝統的には前述のトレイ(布)やバンチュン(竹細工)、もしくは「ダパ」と総称される漆器が用いられてきたが、現在はプラスチック製の皿が一般的となっている。汁っけの多いものは米をよそう食器とは別に小さな碗によそる。

フィンガーボウルは用いず、食事前には、米を少量取って手のひらでこねて汚れを取る場合が多い。手の汚れが付着し球状になった米は傍らに置き、飼い犬や飼い猫の餌、もしくは単なるゴミとなる。この「米での手洗い」の風習が、ブータンの米の収穫量の多さや生活の豊かさの証左であると指摘する人もいる。

また、宗教―国民の約4分の3はチベット仏教を信仰している―と関連する所作として、前述の通り食事前にチェシェやトムチェというお供え・お祈りをする習慣がある。チェシェに関しては、映像に記録されていたように後方に向かって少量の米をパッと放るかたちもあれば米を床に置くかたちもあり、「絶対にこうする」という定まった形式はないようである。お茶やお酒等の飲みものに関しては、表面に指先(薬指)を軽くつけ、水滴をピッと空中に飛ばす。トムチェにおいては祈りを捧げながら米を指先でこねて簡単なお供えものを形成することが多いが、その際には、形を整えやすくするためにおかずの汁や飲みもの等で米を湿らせる場合もある。

「ごはんを握り寿司のように握り、おかずの汁につけて食べるわけです。」「握りしめ、握りしめを繰り返しているうちに粘りが出て、団子のようになります。」と先の映像のナレーションにある通り、米を食べる際は、まず5本指を使って一口もしくは二口ほどの分量を手に取り、それを手のひらで握りしめ食べやすいかたちにする(硬めの俵寿司のようにしたこの米を「アカム」と言う)。そして、それを汁物に浸して食べたり、おかずとともに食べる。ただし、汁につけずに直接米を口に運ぶ場合は、握らずそのまま……ということも多い。野菜や肉は直接指でつまんで口に入れる。最後に残った米粒等が取りづらい場合は人差し指ですくったりもする。また、碗によそられた汁物は碗を手に取り直接口をつけて食す。

米を手で食す男性

できるだけ音を立てず静かに食べるのがマナーであり、米をこぼしたり指の外側に米粒等がつかないように食すのが美しい食べかたとされている。食事中や食べ終えた際に指を舐めるのはあまり良い仕草ではないが、実際は舐める人もいる。

クレを手で食す男性

ブータンにおいては、国民統合を念頭に置いたナショナル・アイデンティティ確立の機運が高まるなかで、ブータン人として身につけておくべき礼儀作法を整理し広く指導することが1980年代より始められた。「ディグラム・ナムジャ」と総称されるこの礼儀作法―特に相手の身分や地位による作法の違いや公の場での立ち振る舞いかたに重点が置かれている―には、食事の作法も含まれている。ブータンの手食文化をめぐる周辺情報として、1999年に刊行されたディグラム・ナムジャのマニュアルに記載されている事項を以下に抜粋(筆者要約)し、本稿の締めとしたい。

  • 高官と食事をする際は、自身の食器は膝の上に乗せ、汁物の碗は左手に持つ。
  • 米を手に取ってアカムを作るところから食事を始める。
  • 米をこぼすこと、口の中の残飯を食器に戻すことはマナー違反である。
  • 骨を噛み砕いてはいけない。
  • 熱い料理を冷ますために息を吹きかけてはいけない。
  • 高官と食事をする際は、骨はゴ(筆者注:男性の民族衣装)のポケットの中にしまう。
  • 高官と食事をする際は、肉は指を使って小さくする。
  • 高官と食事をする際は、高官が食事を終えるまで食器を保持しておく。
  • 碗を舐めるのはマナー違反である。
  • 日常の場では、自身の食器は床に置いても良い。
  • 日常の場では、肉はナイフを使って小さくしても良い。
  • 日常の場では、骨は右膝の前に集め退席の際に取り上げる。
  • お茶を飲む際はカップを右手で持つ。
  • ザウやシップを受ける際は左手でカップを持つ(ザウやシップは右手で受ける)。
  • お茶の中に入れたザウやシップを指でつまんで食べてはいけない。
  • お茶を飲んだ後にカップを舐めるのはマナー違反である。
農家の夕食風景

参考動画

『Bhutan, In Search of a Celestial Kingdom Part 4.Thimphu Tsechu, the Kingdom’s Festival』
上記、2014年放送の韓国の紀行番組に僧院学校の食事風景が登場。(24:40- 約1分間)食べる前にお祈りを唱えながら米でお供え物を作る場面。
一般人はこのような細かなお供えものを毎食前に作らない。(お坊さんも、普段はここまで細かくはやっていない可能性もある。)
『Bhutanese mukbang. Sikkam paa (dried pork)』
ブータンの女性が料理を作って手食している動画。同チャンネル内で多くの手食動画があげられている。

プロフィール

平山 雄大(ひらやま たけひろ)

日本ブータン研究所代表。日本学術振興会特別研究員(DC2)、早稲田大学教育総合研究所助手、早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター(WAVOC)助教、同講師を経て、現在お茶の水女子大学グローバル協力センター講師。ブータン研究のかたわら、代表を務める日本ブータン研究所の諸活動を通して、学際的な相互向上の場の創出及びネットワークの確立を図っている。日本ブータン友好協会理事、日本ブータン学会理事。

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コメント (2件)

  1. 永井弘明
    2024年1月7日 16:37

    平山先生いつもありがとうございます。
    上の写真にありますように、ブータンでは左手で食器を持って食べているようです。
    左手に持つには皿だけですか?日本の味噌汁のように一人一人にお椀が配られることは無いですか?またそのお椀を左手に持つことは無いですか?
    今のインド人は食器を手に持ちますか?ネパール、シッキム、チベットではどうですか?
    口で吹いて冷ますことはしないということですが、お茶も冷めるまで待って飲むのでしょうか?

    返信
    1. 【編集部】
      2024年1月19日 13:37

      編集よりご返信します。
      コメントありがとうございました。
      平山先生がお返事を下さいました。
      >左手に持つには皿だけですか?日本の味噌汁のように一人一人にお椀が配られることは無いですか?またそのお椀を左手に持つことは無いですか?
      →本文にも記した通り、汁っけの多いものは米をよそう食器とは別に小さな碗を用いる。なので、そのおわんが配られることもあるし、左手に持つこともある
      (別に「左手に持つ」と決まっているわけではなく、右手に持つこともある)。
      >今のインド人は食器を手に持ちますか?ネパール、シッキム、チベットではどうですか?
      →専門外なので正確な回答ができないが、それらの国・地域でも食器を手に持つことはあるはず。
      >口で吹いて冷ますことはしないということですが、お茶も冷めるまで待って飲むのでしょうか?』
      →「熱い料理を冷ますために息を吹きかけてはいけない。」というのは礼儀作法のマニュアルに記されている内容。実際の食事の場では、口で吹いて冷ます場面も見かける(特にお茶、また乳幼児にごはんを食べさせるとき等)。

      今後インドの国の記事もアップされます。そちらも是非よろしくお願いいたします。

      返信
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