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東京のグルシャ

Text: 川瀬慈(文化人類学者)

二〇二二年、四月下旬のある晩のこと、私は東京都墨田区のはずれの小規模な町工場が密集するエリアに興奮する心をおさえながら向かった。日本に住むエチオピア移民たちが行う、キリスト教エチオピア正教会(以下、エチオピア正教会)の復活祭、ファシカの礼拝に参加するのである。礼拝をとりしきるエチオピア人の友人から来るように指定された場所は、ある工場の二階にある作業員のためのせまい食堂であった。そこでは、白いコットン製の布、ガビで全身を包んだエチオピア人と思われる四十名程が、正面の壁に液晶プロジェクターによって投影された映像に向かいながら、うっとりとした表情で祈りを捧げていた。皆、両掌を胸の前で天に向け、アーメン、アーメンと繰り返している。床には幼児たちが寝ている。

礼拝の参加者に手招きされ、私は集団の中にゆっくり入っていった。正面の映像には米国ミネソタ州からオンライン参加しているという、エチオピア人司教が、エチオピア現地の言語、アムハラ語で聖書を読み上げている。乳香の煙と香しい匂いが部屋を満たす。東京の下町の工場内の一室が、荘厳な正教会儀礼の空間としてみごとに読みかえられていることに驚く。

東京都墨田区の工場内で行われたファシカの礼拝の様子
うっとりとした表情で祈りを捧げている人々

私は二〇〇一年より、人類学研究のフィールドワークのためエチオピア連邦民主共和国に通ってきた。アフリカ大陸の北東部に位置するエチオピアは日本の国土面積の約三倍の広さをもち、八〇を超える民族が存在する。エチオピアといえば、世界的に活躍する長距離ランナーや、モカ、イルガチェフ等のコーヒーを思い浮かべる人が多いが、発酵食品を中心とするユニークな食文化、さらには食をめぐる人々のコミュニケーションの存在についても忘れてはいけない。二〇一九年、それまで紛争の絶えなかった隣国エリトリアとの外交の再開、和平実現をはじめとするさまざまな革新的取り組みが評価され、アビィ・アフメド首相がノーベル平和賞を受賞したことは我々の記憶に新しい。しかしながら翌二〇二〇年、エチオピア連邦政府軍と、かつて長らくエチオピア政権の中核を担ってきたティグライ人民解放戦線(TPLF)の衝突が北部で勃発してからは、残念ながら同国の政治状況が安定していると言い難い。

そんなエチオピアだが、葛飾区四ツ木駅界隈が最近「リトル・エチオピア」とよばれていることをご存じの方はいるだろうか。葛飾区や墨田区界隈には、エチオピア移民の多くが居住、就労する。このエリアでは二〇〇九年あたりから、地域のコミュニティセンター、個人住宅、あるいは工場等を借りて、不定期で、日本で唯一のエチオピア正教会集会がおこなわれると同時に、エチオピアの食を通したエチオピア人同士、あるいは近隣の日本人をも含めた交流がさかんに展開している。さて、エチオピア正教会は、その起源を四世紀にまでさかのぼる歴史の古い教派だ。一九七〇年代前半まで続いたエチオピア帝国時代においては国教であり、今日もエチオピア北部を中心に人口の半分近くの信者が存在し、庶民の生活や思考様式に大きな影響をもっている。

墨田区の復活祭の話に戻ろう。午後十時にスタートした儀式は深夜をすぎると、徐々にヒートアップしてきた。参加者のうち男女六名程が向かい合い、讃美歌メズムルを高らかに歌い始めた。一人の男性がカバロと呼ばれる儀礼用の太鼓を激しく叩く、歌い手たちは儀礼用の木製の杖、そして右手に握るのはツェナツルと呼ばれる金属製の楽器。この楽器を左右に揺らしてシャリン、シャリンと小気味よいリズムを刻む。そして杖の先で地面を打ちつける。これは、鞭打たれるイエス・キリストの姿を象徴的に表現する。さらに、ツェナツルの左右の揺れと太鼓のビートは、群衆から打たれ、よろめきながらもゆっくり歩みをすすめるイエス・キリストの姿を表すのだそうだ。讃美歌、説法、聖書の朗読が休憩をはさまずに延々と続く。

明け方近く、私がうとうとし始めたころ、どうやら儀礼はひと段落したようだ。エチオピア人大多数にとっての主食、インジェラ(テフというイネ科の穀物でできた灰色のパン)にたっぷり、おかずの肉類がのせられた皿が参加者にふるまわれた。日本では入手不可能なエチオピアのスパイス等を自宅からそれぞれ少しずつ持参し、会場でみなで協力し合って料理をこしらえたのだという。

インジェラ(テフというイネ科の穀物でできた灰色のパン)とおかずを準備する様子
インジェラの上には肉類のシチューがのせられている

数人で円になり、羊肉や鶏肉を手でインジェラに包んで頬張る。参加者の指先から手の甲まで、スパイスやおかずの色で赤茶に染まっている。食べながら聞くところによると、皆、日本でさまざまな仕事に就いている。廃油回収工場や自動車工場の労働者、介護職、飲食店のウェイターもいた。在日エチオピア大使館の職員も数人いた。さらに関東の大学院に所属する留学生も少なからず参加していた。

そうこうしているうちに、参加者同士で、グルシャがはじまった。エチオピアの食文化を語る上では欠かせないコミュニケーションの一つである。グルシャとは、食事の場に同席する人物の口元に、インジェラを手で運び、食べさせる行為を指す。これは歓迎、友愛、絆を表す行為である。グルシャによって、インジェラのかけらがあなたの口元近くにやってきたのなら、それをパクリと食べないわけにはいかないのである。断ることはとても失礼なこととされている。さらに、あなたがグルシャによってインジェラを食べさせられたのなら、その相手にもグルシャを返すことが正しいマナーとされる。腹いっぱいインジェラを食べたあとに、赤茶に染まった手が突然前から、後ろからあなたの口元にのびてくるのだからたまったものではない。会食の際、あなたがたとえ空腹で、がつがつ食べていたとしても、常にグルシャが始まる可能性に留意しつつ、満腹にならぬよう、食べるスピードに細心の注意を払う必要があることはいうまでもない。厳粛な儀礼を終え、故郷の味に舌鼓を打つエチオピア人たちのこぼれそうな笑みが目に焼き付いた。

エチオピア移民は世界に拡散している。エチオピア国外に100万人のエチオピア系移民が存在するという学者の言説もある。私はこれまで、講義や講演で訪れる欧米の都市において、エチオピア正教会に立ち寄り、礼拝に参加してきた。そこでは、かならず会食があり、グルシャが行われていた。エチオピア移民の結節点、あるいはホスト社会と彼ら、彼女たちを結ぶ橋渡し的な役割を教会が果たし、手食をめぐるコミュニケーションが人と人のつながりを強固に支える点に注目してきた。東京の下町の正教会礼拝においても、エチオピア人たちは神に祈り、互いの信仰を確認するのみならず、食を通してつながり、生活や職に関する様々な情報を交換し、異国での苦労をわかちあっているのである。

インジェラを囲み、分かち合う人々
※たいていの場合、筆者もグルシャに参加するため、この会のグルシャ中の写真は手元になかった

グルシャ、インジェラ参考動画

川瀬慈 映像作品『ラリベロッチ』
手食風景と、撮影中の筆者にインジェラを食べさせるグルシャがでてきます(16:15-)
川瀬慈 映像『Making Injera インジェラを焼く』

グルシャや生肉の手食に関するその他の記事

地球・人間環境フォーラム『食卓からみる世界-変わる環境と暮らし第25回 エチオピアのインジェラと食を巡るコミュニケーション』 川瀬慈

プロフィール

川瀬 慈(かわせ いつし)

人類学者。国立民族学博物館准教授。詩、小説、映像作品、パフォーマンス等、既存の学問の枠組みにとらわれない創作活動を行う。著書に『ストリートの精霊たち』(世界思想社、2018年、鉄犬ヘテロトピア文学賞)、『エチオピア高原の吟遊詩人 うたに生きる者たち』(音楽之友社、2020年、サントリー学芸賞、梅棹忠夫 山と探検文学賞)等がある。
http://www.itsushikawase.com/japanese/

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